Date: 2018/06/12

成長の鍵は、お地蔵さんかもしれない

まいど、鈴木です。
毎日娘4歳児のほっぺたを吸っては尻を撫で続け、いつこの世を去っても悔いのないよう生きているデジタル雑務で1児の母です。
最近「恥ずかしいからやめて」と娘に拒否されることも増え、成長に感動しています。

泣いてないです。

毎晩、寝かしつけに絵本を読み聞かせている手前、いろんな絵本に触れます。
今回はそんな中の1つ、「かさこ地蔵」のお話にモヤっとした話です。
もう少し細かくいうと、幼児向けに分かりやすくされ過ぎた「かさこ地蔵」にモヤっとしたのち、ハッとした話です。

童話や伝承・民話の類に、闇雲にツッコミ入れるのはナンセンスという事は百も承知で、続けさせていただきます。

「かさこ地蔵」ってこんな話

舞台は日本。
時代についての言及はありませんが、「むかしむかし」から始まるお話に多く見られる背景と思われます。

年の瀬を、貧しく過ごす老夫婦が、年越しのお餅を買うためのお金を稼ごうと笠を編み、おじいさんが笠を売るため市場に向かいます。

結局、笠は1つも売れませんでしたが、雪の吹雪く帰り道、裸のお地蔵さん6体がいたため不憫に思い、雪を払って手元に残った笠を全てお地蔵さんにかぶせて、おじいさんは家に帰りました。

帰ってきたおじいさんから一連のことを聞いたおばあさんは、嫌な顔一つせず「それはいいことをしましたね」と言いました。

その夜、家の前で物音がしたので扉をあけて様子を見てみると、お正月を越すのに十分な食料が家の前に置いてあり、遠くの方で、笠を被った6体のお地蔵さん達が去っていく姿が見えたとのことでした。


ざっくり言うと、お地蔵さんの恩返しみたいなお話です。
他にも絵本はたくさん読みますが、このお話だけは、やけに心に引っかかって毎日ぼんやり考えていました。

引っかかった理由

同じタイトル1つ取っても、いろんな方が書かれて、大なり小なりニュアンスは変わるものですが、
今回は特に私が娘に読み聞かせた本で言及させていただきます。
お話自体にもですし、この絵本のシリーズに対するもやっとが混在しています。

1. おじいさんの無責任さがツライ

笠を作って食料を買う為に出て行くおじいさん。
おじいさんは出がけに「笠を売って、た〜んと食料を買ってくるからね」的な事を言います。

…ほんまか!??!
笠を売ってた〜〜んと食料を買えるならそもそも今そんな困ってないのでは??
年の瀬にそもそも困窮していないのでは???
無計画なの????
いつもそんな感じでカツカツが通常運転なの?????

送り出すおばあさんも超ニコニコしています。
お話の経過を知っているだけに、この無責任発言がなんかこう、ツライ。

2. ハートフルに演出されすぎていてツライ

どのあたりがハートフルかと言うと、ねずみの家族が居るのです。
貧しい老夫婦の家に、ねずみの家族が居るのです。

老夫婦は年の瀬を極貧で迎え、お正月をどう越そうかなんて言っている状況下においても、
自分の家にいるねずみズに、残り少ないもち米まで分けてあげるのです。
挙句ねずみの親子がつき始めた餅つきの音を聞いて、「やっぱりお餅つきはいいですねぇ」と言ってしまうんです。

仏の心にもほどがある。

しかもその後、ねずみ達が笠を編むのを手伝ってくれちゃったりするわけですよ。

ハーートフル!!!!!
めちゃんこハートフル!!!!!!!

どんなかさこ地蔵のお話にも、このねずみファミリー的なものが出てくるのかと、他2パターンほど調べてみましたが、このVer.のみの脚色の様でした。
とりあえず。

結果、めでたしめでたしになってよかったものの、これでお地蔵さんの恩返しがなかったらどうなっていたのでしょう。
ねずみが何か持ってきてくれていたんでしょうか。的な。
このハートフルさが余計に、ツライ。

 3. 後書きの「善意に満ちたお話です」がなんかツライ

私が読み聞かせたかさこ地蔵には後書きがあり、そこに「これは、善意に満ちたお話です」とありました。

これ、ここです。
私が最も引っかかったのはここです。

「これは、善意に満ちたお話です」????

本当ですか??
マジで???

この、何か理由があって極貧であろう老夫婦のスタート(過酷)、
その極貧でもねずみ達に残り僅かなもち米をあげてしまえるほどの心(狂気に見える)、
そして約束された報酬だったわけでもないお地蔵さんからの食料(ただのラッキー)。

こういう要素のどこをもってして善意と言ってしまえるのか共感できなさすぎて、結果めちゃんこ考える引き金になってしまったわけです。

確かに、おじいさんおばあさんは善意に満ちている。
でも、食料がない危機状態で自分たちの持ち物をあげてしまう。
これは善意と言っていいんでしょうか?
おばあさんに対しては完全なる善意ではないのでは?

などなど。
思うところがありすぎます。

お話の中では、おじいさんおばあさん夫婦はお互い同じ方向を向いていて、優しさに満ち溢れていますが、
実際自分がこのおじいさんの立場になったら、とてもじゃないけど同じ事をできる自信がない。
自信がないのであります、隊長。

おじいさんの行為が、根本的に何だったのかを考え続けてハッとした

こういう非現実的な事が起こるお話に於いて、そこにテーマなり教訓なりを求めるのであれば、絵のまんま、字面のまんま受け取ってはいけませんよね。

そこで、自分の持った印象を後書きに合わせて変化させてみたところ、おじいさんの行為が何なのか、自分の中でしっくりきました。

これが本当に善意の話になるとしたらそれは何か。

それは、その人が「せずには居れない」こと。
一見するとどんな利益があるのかわからない、その人だけが気になること。

仕事に於いて、そういう部分は、強みにもロスにもなりますよね。
他者との差別化を図れるという意味では強みになりますが、
する必要のない工程でそれをやってしまう、それではただのロスであり自己満足です。

しかし現実で大切なのは、「お地蔵さんが居るなら、同じ状況なら自分がどうするか」をあらかじめ知っていることだと思います。
そして、そのパターンは多ければ多いほど良い。
なぜなら、自分をコントロールできるから。
「せずに居れないこと」をやるかどうか、自分が判断するのです。
会社であれば、自分がせずに居れないことを仲間が知ってくれている、これが最強です。

それはあるときには雪を被ったお地蔵さんであり、ゴミが落ちている事務所入り口であり、誰かが仕舞い忘れた備品であり、製作者が気づかないミスであり、社員自身が気づかない改善すべき仕事の体質だったりすると思います。

おじいさんの「後先考えずに、ついやってしまう善意」が、このお話では大きな報酬となって返ってくるわけですね。
これは運や、結果よかったという話ではない。
もらうべくして貰う報酬の話なのだと思いました。
きっとこのおじいさんおばあさん夫婦は、こういう意図しない、「笠を売る」というような本来の目的とは全く違うところでの報酬を受けて生きてきたんだろうと思いました。

そう思い至った時、イラっとも消えたのでした。

一見すると自身や他に対して何の利益にもならない様に見える行為が、
大きな報酬となって帰ってくるこの図式は、成長する上でとても大切にするべき点ではないかなと思います。

利益にならないことを積極的にしよう意味ではありません。

よくも悪くも、絶望的な状況下においても、せずには居れない自身の何かがその人の特性であり、できればそれは良い方向に伸びるべきだと思います。

 

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私ができるとは言っていません。
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鈴木でした。