Date: 2018/01/10

あなたの景色に電線はあるか

皆さま、あけましておめでとうございます。
年初言われたありがたいお言葉が「お前は黙っていたらしぬのか」の鈴木です。
本年もよろしくお願い申し上げます。

AND SPACEでは定期的に全体ミーティングをおこないます。
どうも自分はそういう場での「聞く」タイミングと「話す」タイミングがよくわかっていません。
正確にはわかっていないらしい事に最近気がつきました。
半年ROMりますと答えると、ROMらなくていいから人が話してる時に被せてくるのだけやめて、1秒以上空いたら喋っていいと言われました。
あざっす。

個人的に「沈黙は金」という故事の表面的な意味が大嫌いな程度には発信する事が大切だと思う方なんですが、そういう思いとは別に、もう少し正しいタイミングで場に参加する事を意識して2018年を過ごしたいと思います。
(「沈黙は金」が嫌いな理由は、往々にして発信が必要と思われる人物が言い訳の様に使うからなので、その故事自体は悪くないのです。)

導入がメインになりそうなので、このあたりでこの話は終わります。

今回は、去年6月の入院時の気づき+それに関連したテーマです。
長くなるので、あまりにも暇を持て余した時のストックにでもしていただければ幸いです。
普段あえて見ないようにしているものを取り上げて、ここに切り込めるのがデザインだぞ☆
というところに落としたいと思います。

落ちるかな。

0.使われないキッズスペース

「キッズスペース」がわからない方はあまり居ないと思いますが、簡単に説明すると、色んな施設内にある「クッションマットに絵本や遊べるおもちゃが置いてある、いわゆる乳幼児を転がしておける場所」の事です。

入院時の話。

約1週間、体は元気、声が出せないだけの私は院内もそこそこ散歩していました。
娘も面会に来ます。

入院しているフロアの受付左手の待合にキッズスペースがありました。
しかし退院まで、遂にそこで遊んでいる子どもを一度も見ませんでした。いやいや最初は私もそこを使って娘と面会できるなと思っていたんです。

ところが。 実際はお見舞いの面会使用不可という場所で、特に感染症予防の観点から「乳幼児の方の面会には使わないでください」と注意書きすらあったのです。

いざ利用しようと娘を連れて行きその注意書きを目にした私の頭にはハテナの嵐。
一体いつ使う想定なのか???
完全なデッドスペース。

受付で要件を伝える間用というのなら、正直ソファで十分です。
何ならそこにある絵本やおもちゃを触ったら風邪ひきそうだな?ウィルスがわんさかいるのでは??
という印象を持ったくらいでした。

それほど大きな病院ではないので手やお金がかけらないのもわかります。
予想の域を出ませんが、病院関係者のお子さんや患者さんが退院時置いていかれたのではという印象の使い古された幼児雑誌、出版年数がかなり古く状態もよくない大量の絵本やおもちゃ。
それらがあまり整理されず詰め込まれた状態。放置された感が否めない。
(衛生的にそんな事しません!っていう時代な気はしますが、それなら新しく本が追加されているのかというとそういう印象もなく。)

これは入院経験がないと実感がわかないと思うんですが、多くの場合、キッズスペースを必要とする月齢の幼児の入院というのは、完治まで病室から出られない事がほとんどです。
入院患者用のキッズスペースは別にあります。
だからこそあまりにもデッド。

フォローしておくと、他設備に別段不安はなく適度に清潔感がありましたし、サイン表示は個人的に高評価な病院でした。

この時は声が出せない事もありましたし、特に看護師さんには聞かず。
聞いたとしてもまあ感じは良くないですよね!
高確率でネガティブな反応が帰ってくる気がしました。

そしてそこで過ごすうちに、その空間が見慣れた景色となり、その場所について考えることをやめました。

1.諦められた景色

前段の様な景色を、私は諦められた景色・思考が放置された場所と頭の中で分類しています。

皆さんは生活のいろんな場面で、「認識から消された場所・景色」について思いを馳せた事はないでしょうか。鈴木は以前からそれが気になっていたのですが、今回の記事を書くにあたり改めて考えてみようと思いました。

特には「街中の電線」です。

街中の電線が見えなくなる事ってないですか。
私はあります。
普段それらを意識から消しているなという自覚があります。

もちろん高い位置にあるので目につかない事もありますし、電線を地中に埋める無電柱化も進んでいるのでそのものを見かけないエリアもあります。
しかし意識して見てみれば、それらは結構雑然とそこにあります。
(雑然としているのにはそれなりに理由があると思いますが、ここでは追求しません。
そしてその雑然とした景色は絵に起こしてみたりするとなんとも味わい深かったりするからほんとに一概には評価できないんですが。)

もし自分の家の中に同様の配線があったなら、ストレスになるレベルだろう思います。

だからこそ意識から消す、必要だがその外観を自分ではどうにもできないから気にするだけマイナスの景色があります。

目の前にあるものがそのまま脳に残り認識するわけではないという、人間の不思議です。

2.記号化された色

もう一つ。

似たような事例に、「記号化された色」があると感じています。
統計を取ったわけでも大学の課題のように調べてまとめたわけではないので、あくまで感覚です。

例えばオフィス系の文具・ファイル・機器の鮮やかな3原色系をはじめ、洗濯物を干すピンチングハンガー系に多く見られる青、昔からあるジャンルにある多く使われる「〇〇と言えばこの色」のようなもの。
結果的にその色は、色よりも記号として意味合いが強いと思います。

「青」が使われていたとしても、「青」と言う印象より「役割」が意識されるのです。
ラベリングという意味ではそれは有用だと思いますが、人が多くいる場面で色をルール化し管理するのは思いの外大変です。

色をルール化すべきかは置いておいて、私がそういう場合気になるのは、例えば病院であればベージュやオフホワイトの院内、受付内の事務室の壁の色も淡いイエローなど、そういう中にあるモノ達について、その場に合うかどうか考えてから選び購入したのか・作られた結果そうなのか?という事です。

おそらく多くは、まるで義務教育中に教室に登壇する先生の様に、
「いいか悪いか、好きか嫌いかではなく、役割があるから目の前にいることを許す存在」としてその場に迎えられるのではないかと思います。
作る側に置き換えるなら、そう言う前提で役割があり迎えられるモノを作るから、ある程度機能的であればあとはままよと用意されたとしか思えない色のラインナップ。
仮に「ダサいとしても、それが理由で排除はされない」安心感ゆえの妥協面に、「色」という側面が選ばれるのではと思います。

4.諦められた景色に切り込めるのがデザイン

そういう景色が例えば社内に、案件にある場合、お手伝いできるのがデザイン会社です。
というかAND SPACEが得意とする分野です。
ご入用の際はぜひお声がけください。

飾るという選択肢を含むことがデザインですが、イコールではありません。
一般的に持たれているであろう「デザイン=飾る・華やかにする」という印象は、本来一部分にすぎません。

飾るにしろ華やかに美しくするにしろ、最初に必要なのは掃除・整理です。
beautyの「きれい」ではなくcleanの「きれい」。
デザインの醍醐味は、スクラップアンドビルド、一度構成要素をバラバラにしてから組み立て直すことです。
解体して、建て直すのです。

そしてその後、その構成要素を配置して、情報を「飾る・足す(+)・引く(−)・分ける(÷)・組み合わせる(×)」という並列にある選択肢の中から目的に合った最適を選ぶのです。

「多くの人が慣れ親しんでいる」点を留意するのはとても大切な事だとは思いますが、そこに別の生活の質や文化としての底上げができる提案をしてあげられるなら、常に反映してげるのがものを作る人間の義務であり存在意義だとも思います。
また、そういう箇所に向き合い改善やノウハウを共有できる事が、良くあろうとする姿なのではと思います。

そんなわけで、よければ、街で電線を意識してみてください。
一度そういう目で景色を見ると、新しい、もしくは放置された景色に気づけるのではないでしょうか。

こんな風に書いてますが、鈴木は別段客観視が得意な方ではありません。悪しからず。

自分をデザインすることが、毎日こんなにも難しい。
などと面と向かって代表に言った日には一掃されそうですが、書いていて自分に刺さる事ばかりです。


今回もブログアップに遅刻した鈴木でした。