Date: 2021/05/15

【日本の◯◯】国旗のこと、国歌のこと、選ばれし国花・国蝶・国鳥とは?

2021年。果たして、この国に2度目のオリンピックはやってくるのでしょうか?

本来であれば、あと指折り数えるほどで『TOKYO2020+1』の幕があがります。さすれば、海の向こうから、各国の旗と名誉を背負ったアスリート達がそぞろやってくるはず…。

ただ、その前に、変異株と化したコロナウイルスとやらが、続々と来日しているらしい。このままじゃ、腹の底から声高に「ニッポン!ニッポン!」とも言えないじゃないか…。

あぁ。そろそろ弱点を教えておくれ、変異株のコロナくん。

どうも。AND SPACEの和服担当、お寺担当、ライター部マネージャーの橋田です。今回は、オリンピックイヤーにあやかり、“ニッポン”のシンボリックなあれこれについて語りたいと思います。

『日の丸』の通称で知られる国旗のこと、『君が代』のタイトルでお馴染みの国歌のこと、それから日本を象徴する花・蝶・鳥まで、一気にご紹介します。

♬まばゆいくらいにエキゾチック、エキゾチーーーック、ジャパーーーーーン♬

【1.日本の国旗】「日の丸」のデザインには意味がある!?

“日出ずる国”に相応しい、真っ赤な真ん丸の正体

白地に真っ赤な真ん丸。とてつもなくシンプルなデザインの日本の国旗は、通称『日の丸』と呼ばれます。その文字通り、ど真ん中の赤色の丸は、日の出の「太陽」を表しています。

では、どうして、日本の国旗の象徴が「太陽」なんでしょうか?古代まで歴史を遡り、理由をいくつか考えてみますと…

◼農耕民族の日本人は、さまざまな恵みを与えてくれる「太陽」の存在を古代から大切にしてきた

◼八百万の神の頂点に立ち、天皇の祖先とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)は、「太陽神」である

◼遣隋使を派遣した聖徳太子は、隋の皇帝に宛てた国書で、自国のことを「日出ずる国」と表現した

◼日本の国名はもともと「日ノ本」と呼ばれ、太陽が昇る国を意味していた

てな具合に、むかーし昔から、日本人にとって「太陽」は特別な存在として意識されてきました。ちなみに、日の丸の国旗を英訳すると、“the Rising-San flag”。これまた、ド直球でございますな。

日の丸マークの初登場は、平安末期の源平合戦

日本の国旗「日の丸」が歴史上初めて登場するのは、平安時代末期のこと。「源平合戦」にまでさかのぼります。この時、平氏が掲げた旗印は「赤地に金色の丸」、源氏が「白地に赤色の丸」でした。

さてさて。壇ノ浦(山口県下関市)の洋上までもつれこんだバトルの勝者は、源氏。その後、“将軍”は皆「源氏の末裔」を名乗り、天下統一の証として「白地に赤色の丸」を掲げました。

もしかしたら、もしかして、源平合戦の勝者が平氏だったなら、日本の国旗は「赤地に金色の丸」のデザインだったかもしれんのです…。

「白」「赤」「丸」それぞれの意味

2トーンのシンプルなデザインの「日の丸」ですが、色と形それぞれに意味があります。

そもそも赤と白の配色は、縁起がいいとされる伝統色の組み合わせ。めでたい場の「幕」も「餅」も、だいたいが“紅白”ですからね。そんでもって、それぞれの意味は…

◼白色→純潔/神聖

◼赤色→博愛/活力

◼丸形→団結/円満

ふむふむ。実に、よくできたコジツケであります。

 

【2.国旗・国歌】「君が代」は、誰が詠んだか分からぬ“恋の歌”!?

ギネス認定の“世界一短い国歌”の作者とは…

♬君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで♬

この、世界一短い歌詞の国歌としてギネス認定されている日本の国歌『君が代』は、いつ、誰が作った歌かご存知ですか??
その答えは、「よーわからん」が正解。もとを辿ると、平安時代初期の『古今和歌集』に掲載の“読人知らずの和歌”が原典です。古くから長寿を祈る祝賀の歌として愛されきた『君が代』が、“国歌”として日の目を見たのは、明治になってすぐの頃でした。

『君が代』の歌詞に込められた意味

さて、なにげなーく覚えて、それとなーく口ずさんできた『君が代』の歌詞の意味を考えたことはありますか?
王政復古が宣言された明治以降、特に戦時中までであれば、「君=君主=天皇」と解釈することが当たり前だったかもしれません。しかし、古代まで遡ると、もっとロマンチックな「君」の解釈が登場します。

まずは、「君」の漢字を「キ」と「ミ」の音に分解してみましょう。そして、『日本書紀』に綴られた日本神話にまで時を移しましょう。

イザナ「ギ」ノミコトとイザナ「ミ」ノミコト

国生みと神生み伝説の主人公である男神「イザナギ(キ)ノミコト」女神「イザナミノミコト」。この2人の神の名前の1字違いはギ(キ)とミです。

要するに、「ギ(キ)=男」「ミ=女」と定義づけられ、『君が代』の出だしである「君」は、男女のペアを表しますざっくりと現代語訳してみると、こうなります。

【君が代は】=男と女がいつの時代も仲睦まじく

【千代に八千代に】=千年も万年も永遠に

【さざれ石の巌となりて】=小石が集まってひとつの岩となるが如く結束しあい

【苔のむすまで】=その岩に苔が生えるまで固い絆を結んでいこう

ちなみに、これが「さざれ石」が巌になったやつ↓↓↓

女性から男性に向けた究極のラブ・ソング

先ほど、『君が代』の原典は、平安初期編纂の『古今和歌集』と紹介しました。ただし、当時掲載された歌の出だしは、「君が代は」ではなく「我が君は」だったんです

平安時代、「君」の1字は「男性」を意味しました。よって、実はこの歌、とある女性が思いを寄せる男性に向けて詠った“究極のラブ・ソング”だったと解釈することができます。無茶苦茶ざっくり現代語訳すると、こうなります。

【わたしが心から愛するあなたの人生が、ずーっと、ずーっと永遠に続きますように】

だからこそ、この歌は、古くから長寿を祈る祝賀の歌として親しまれてきたんです。

 

国旗と国歌が、正式に認められたタイミング

あまりに長過ぎる“暗黙の了解期間”

驚くなかれ、「国旗」も「国歌」も、ずっと前から正式に認められていた訳ではありません。

スポーツの国際大会や学校の入学式・卒業式などで見慣れた「国旗」と聞き慣れた「国歌」が法的根拠を得たのは、1999年8月13日のことです。小渕恵三総理のもと、『国旗及び国歌に関する法律』が公布・施行されたことで、国旗は「日章旗」で国歌は「君が代」と公式に決定しました。

それまではずっと、国旗も国歌も“暗黙の了解”として、“慣習”として、当たり前に使用されていたんです。これ言わば、「さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」の期間だったと言えましょう。

「国旗制定記念日」が1月27日である理由

長い間、「日の丸」の旗が暗黙の了解で国旗扱いされてきた理由は、明治初期の1870年1月27日に制定された『商船規則』があったから。鎖国から開国へ舵を切った明治政府は、船舶の識別旗として「日の丸」を定めましたが、“国旗である”との記述はどこにもありませんでした。

『君が代』の曲もまた、1870年に薩摩藩の楽隊が初演奏したことをルーツとします。現在のメロディとなったのは1880年のことで、その当時、“国歌”として位置づけていたのは海軍省と宮内省のみでした。

終戦後、軍国主義の象徴であるとの理由から、GHQにより『日の丸』の掲揚と『君が代』の斉唱が禁止された時期もありましたが、1999年に法制化されるまでの間も、『日の丸』は“国旗”として、『君が代』は“国歌”として定着していました。

 

【3.日本の国花】実は、この国を象徴する「花」はふたつある

たくさんある四季折々の花々の中で…

梅、桜、牡丹、藤、椿、朝顔、向日葵、菊、秋桜、薔薇、桔梗、百合、水仙、蓮、沈丁花など…。

春夏秋冬、四季折々の花々を愛でることができる島国日本。国旗や国歌のように法的に定められてはいませんが、この国を象徴する「国花」が一体なにかご存知ですか?

天皇家が「菊の御紋」を使っていたり、パスポートの紋章が「菊」だったり…。だから答えは「菊!」ってのは、早とちりであります。

国花は春の「桜」と秋の「菊」

そもそも国花とは、国民からもっとも愛されている花のこと。なのに、実は、日本の国花は1種類ではありません。

ひとつ目は、春に芽吹いて満開になり、ほんの数週間で潔く散る「桜」。ふたつ目は、天皇家の象徴であり、お悔やみの場面でもお馴染みの「菊」です。

〈桜と菊の主な花言葉〉

◼桜→精神の美/純潔/優美

◼菊→高貴/高潔/高尚

そう言えば、毎週末にレースが行われているJRAの競馬でも、3歳クラシックGⅠ競走として国花を冠した「桜花賞」と「菊花賞」が長らく定着しています。
春の桜と秋の菊。どちらも四季のある日本を代表するに相応しいバックボーンがあります。これまさに、文句なしの“華の頂”だと思いませんか?

橋田撮影「桜華爛漫の華頂山知恩院三門」

 

【4.日本の国蝶】バタフライ界最強の“バタ”フライ

全国各地に生息するくせに、認知度は低め

日本の国を象徴する「蝶々」がいることを、あなたは知っていますか?
この蝶々、全国各地に生息しているのに、思いのほか認知度の低い蝶々なんです。だから、ヒラリヒラリと舞い遊ぶように姿見せた「アゲハチョウ」でもなく、パタパタと右往左往する「モンシロチョウ」でもありません。
“バタバタ走る”のは、チーズの飼い主のバタコさんですが、国蝶に選ばれし蝶は、最もバタバタ羽ばたく「オオムラサキ」です。

記念切手の発行が国蝶に選ばれたキッカケ!?

1957年、日本昆虫学会がオオムラサキを国蝶に選んだキッカケは、オオムラサキが蝶として初めて「記念切手」の図柄に選ばれたことでした。

“ちょー(蝶)適当やん”と思うエピソードに驚かされますが、なにかが決まるキッカケなんて色々あっていいと思いましょ。むしろ、当時の郵政省からのスルーパスに反応良く飛び出した昆虫学会のファインプレーやと思いましょ。

昔から高貴な「ムラサキ色」の羽を持つ蝶

オスのオオムラサキの特徴は、その名の通り、青紫色に輝く美しい羽です(メスは地味めな茶紫色)。ここでひとつ、国を代表する蝶が、昔から高貴な色として重宝されてきた「紫色」の羽を持つことに着目してみましょう。

例えば、聖徳太子が制定した『冠位十二階』の最高位が紫色でした。例えば、僧侶の階級別の衣。宗派によって多少の違いはありますが、位の高いお坊さんしか着れない衣の色が「紫衣」です。他にも、春のセンバツ高校野球の優勝旗は「紫紺」です。ちなみに、夏の甲子園の優勝旗は、国旗にも使われている「真紅」の優勝旗なんですよね。

国蝶のオオムラサキは「準絶滅危惧種」

オオムラサキの生息地は、北は北海道、南は九州までと幅広く、特に山梨県の山間部で多く観察されます。とは言え、その数は年々減少し、「準絶滅危惧種」に指定されてしまいました。

本物のオオムラサキを目にする前に、「国蝶絶滅」なんて四字熟語を目にすることがないよう、環境保全にも目を向けて見ませんか?

 

【5.日本の国鳥】勇敢なオスと母性愛あふれるメス

1947年、日本鳥学会が選んだ国鳥とは?

最後に、日本を象徴する「国鳥」に選ばれし鳥をご紹介します。なんとなーく、新潟県の佐渡島で繁殖が行われている「トキ」や、美しい容姿の「ツル(丹頂鶴)」を思い浮かべる人が多いのではと思いますが…どちらも不正解。
1947年、日本鳥学会が選んだ日本の国鳥は、某昔話の脇役として有名な「キジ」でした。

学名「ニッポニアニッポン」を差し置いて

学名が「Nipponia nippon(ニッポニアニッポン)」のトキを差し置いて、国鳥に選ばれたキジは、本州・四国・九州の広い範囲に生息しています。

緑色の体に赤い顔のオスのキジは、天敵にもひるまない勇猛果敢な性格。一方、茶色の体のメスのキジは、「焼け野の雉夜の鶴」という言葉で例えられるように、我が子を思う気持ちがとっても深いことで知られます。

勇敢なオスと母性愛あふれるメス。それが、日本を代表する鳥に選ばれた「キジ」の特徴です。

キジと聞けば思い浮かぶ、あの昔ばなし

♬お腰につけたーきびだんごー、ひとつー私にくださいなー♬

イヌとサルに続いて、モモたろさんの家来になった鳥こそ、国鳥のキジです。攻撃力高めのオスのキジが桃太郎一門による鬼退治の“飛び道具”になったエピソードで、日本人のほとんどがキジを認知していることでしょう。

ド派手な歌舞伎役者のような面構えのキジさんが「エンヤラヤ」と退治した鬼さんは、節分の日の夜、AND SPACEにも出没してました…。

イヌ・サル・キジの心持ちで歌います…

あ。この御方、鬼じゃない。左右にはみ出るソバージュとまん丸メガネのこのお姿は、社内における総選挙で最多得票を獲得し、我社の2代目社長就任が決まった堀岡定則氏でした。

社員一同、決してこの鬼さんをこらしめやいたしません。思いはひとつ。童謡『桃太郎』の3番の歌詞をそのまんま、イヌ・サル・キジの心持ちで歌います…。捧げます…。届けます…。

♬行きましょう 行きましょう あなたについてどこまでも 家来になって行きましょう♬

 

橋田

この記事を書いた人

作務衣を身にまとい、“センス”を持ち歩く、京都出身の癖ある渋男。寺社仏閣専門紙の記者(おてライター)として働くこと10年の経験を活かした、多彩な「言葉遊び」と「韻を踏みがち」なライティングで、テンポの良い文章を奏でる。生きた動物は苦手なのに、アニマル柄好きという風変わりな趣味でデスクは散らかり気味だが、原稿と案件はちゃんと整理整頓できるのでご安心を。社内では、話が長いで有名なお爺系ムードメーカー。仕事のスタイルは、そんな人柄がにじみ出る「義理と人情」で打席に立つスイッチヒッター。